The 11th concert


日時 2007年5月31日(木)18時半開演
場所 同仁キリスト教会
入場料 3000円
指揮 佐藤 宏充
台本・演出 森山 太
プログラム “魔笛(抜粋)” KV620〈大地編〉
ミサ 変ロ長調 KV275(272b)
出演 “魔笛(抜粋)”〈大地編〉
タミーノ/辻端幹彦  パミーナ/高橋知子
パパゲーノ/生駒文昭 パパゲーナ/九嶋香奈枝
夜の女王/滋田聖美 モノスタトス/丘山哲哉
侍女1/大沼久仁子 侍女2/秋田 薫 侍女3/笹子まさえ
武士T/伊藤 馨 武士U/井東 譲
童子T/秋田 薫 童子U/辻山洋美 童子V/山川一江
大熊敏子(pf) 畑澤泉(Vn) 関口将史(Vc) 畑澤加代子(Fl)

ミサ 変ロ長調 KV275(272b)
秋田薫、九嶋香奈枝、滋田聖美、高橋知子、辻山洋美
大泉みゆき、大沼久仁子、笹子まさえ、山川一江、山口克枝
井東譲、伊藤馨、辻端幹彦
生駒文昭、富塚研二、岡本隆、丘山哲哉
櫻井由理(Pf)、関口将史(Vc)

プログラムの内容

『魔笛』あらすじ
人の心が荒む、架空の時と場所。 人間の無意識が生む様々な悪しきことは世界を覆いつくし、やがて世を滅ぼそうとしていた。
異国の王子タミーノ(辻端幹彦)が、その悪しき心に苛まれ、苦悩している。そして、自分の心に負けそうになったその時、夜の女王に仕える侍女達(大沼久仁子・秋田薫・笹子まさえ)が現われる。彼女達は、揃ってタミーノに一目惚れ。自分だけが彼の傍にいたいと願い、では誰が事の次第を主人である夜の女王に伝えにいくかでおおいに揉める。しかし結局は三人でその場を離れていく。
そこに、この界隈では鳥を捕ることで有名な男、パパゲーノ(生駒文昭)がいつものようにやってくる。
タミーノはパパゲーノに、自分を助けたのはお前か? なぜだ? と問い詰める。そこに、夜の女王の侍女達が戻ってきて、女王の娘パミーナがザラストロに捕らえられてしまっている、どうか助けてほしいと請う。まったく訳が判らないパパゲーノは説明を迫るが、侍女達は、王子とのみより長くまた多く話をしたいが為に、パパゲーノの口に鍵をかけてしまう。
タミーノは、ザラストロの一味であるモノスタトスに捕らえられるパミーナの姿を侍女達に見せられ、その美しさに魅入られたタミーノは彼女を救い出すことを決意。そして、タミーノは魔法の笛を、パパゲーノは魔法の銀の鈴をそれぞれ侍女達から授かりその場を去る。
一方、モノスタトス(丘山哲哉)に捕らえられたパミーナ(高橋知子)は、あまりの恐ろしさに気を失ってしまう。そこに、道に迷ったパパゲーノが現れ、パミーナに、王子タミーノが助けに来ますよと言う。二人はザラストロに見つからないように逃げようとする。
しかし、そこに、ザラストロの仲間と思われる人々が、タミーノを囲むようにして静かに行進してくる。パミーナとタミーノは、互いにすぐそれと判り、確認するように熱く抱き合う。
人々はタミーノに、ザラストロとは人の名前ではなく、誰もが持っている徳の心を表す言葉である、という。そして、人の心の弱さは決して悪いことではないが、己こそが優れていると思う心が世を滅ぼすのだ、と諭す。タミーノは、彼らと共に、心の試練を受けることを決める。
その様子を隠れて見ていたモノスタトスは、今この瞬間を楽しみたいだけでパミーナに執拗に迫る。しかし、そこに夜の女王(滋田聖美)が現れ、パミーナにザラストロを滅するよう命ずる。パミーナは苦悩する。
一方、なぜかタミーノと共に試練を受ける羽目になってしまったパパゲーノは、なんとか試練から抜け出し、恋人が欲しいと嘆く。すると、老婆が現れ、私があんたの恋人だという。驚くパパゲーノの前で老婆はパパゲーナ(九嶋香奈枝)に早替わり。しかしすぐに姿を消してしまい、パパゲーノはパパゲーナの後を追い求める。
人々と試練に向かうタミーノ。その耳に、パミーナの声が聞こえてくる。再会を許された二人は、共に試練に臨むことを決め、二人は魔法の笛を手に、自らの心と真摯に向かい合うべく試練に挑む。
パパゲーナを見つけられないパパゲーノは、世を嘆き首を吊って死のうとしている。そこに三人の童子(秋田薫・辻山洋美・山川一江)が現れ、魔法の銀の鈴を鳴らしたらきっといいことがあるよと言われ、嬉々として鈴を鳴らす。するとその音に導かれパパゲーナが姿を現し、あらためて愛を誓い合う。
試練に耐えたタミーノとパミーナは、パパゲーノとパパゲーナと共に多くの人々に迎えられ幕となる。(森山太)

ミサ 変ロ長調 KV275(272b)
子供の頃から外国の宮廷で、素晴らしい思いを味わってきたモーツァルトにとって、ザルツブルクの日常は次第に耐え難いものになっていった。その状況は1777年の夏にクライマックスに達し、モーツァルトは大司教と衝突して解雇され、新しい天地を外に求めることになった。モーツァルトの人生を変えた三年に及ぶ大旅行(パリ旅行での母の死、ウエーバー家との出会い)の直前のことである。モーツァルト21歳。
このミサ曲はその頃作曲され、その年の12月21日に演奏されたらしい。モーツァルト研究の泰斗、アインシュタインによればこのミサ曲は特定の目的のために作曲された(通常の典礼ではなく)votive mass(随意ミサ)ではないかとのことである。さらに、「曲は親しみ深く、オーケストラも控えめで叙情的であるために、このミサはほとんど個人的といってもよい性格で、聖と俗との区別もなくなってしまっている。同時に、このミサは南ドイツに特有の民族的音調を持っており、モーツァルトのミサ曲のうちでも、この曲ほど、ドイツやオーストリア教会の聖歌隊の古い楽譜で、よくお目にかかるものはないということも理解されるのである」と続けている。 1770年代のモーツァルトは、意識的に一般人向けにポピュラーな教会音楽を書こうとしていた、という新説が出されている。
当時、一般人に聴けるものと言えば、ダンス音楽(モーツァルトはたくさん書いている)か教会音楽だけだった。ザルツブルグ近郊の教会や高地オーストリア(首都はリンツ)の教会を調査した最近の研究ではKV257,258,259,262,275の作品群は、手書きの楽譜でこれら近隣の教会におびただしく流布しており、きわめてポピュラーになっていたことが分かった。実際のところ、ラント・ザルツブルクや高地オーストリアの多くの人は、長年にわたって、モーツァルトの曲といえば、これらの教会音楽しか知らなかったのである。
(参考文献:H.C.ロビンズ・ランドン著『モーツァルト 音楽における天才の役割』、カルル・ド・二著『モーツァルトの宗教音楽』)

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